とりあえずテキストのみです。(すみませんしばらく62と61を間違えました)

model cars 61
悲しいお話からしなければならない。そして何という偶然なのか言葉が出ない。

M12模型化が、3/31からあっと言う間に進む中、不幸な事態が起こっていた。

本企画は以下の通り交わされたメールの内容を公開する形で御紹介するが、

今回の冒頭以外の部分では勿論、酒井さんがお亡くなりなった事を我々は知らない。

寺部様へ

宮野です。牧野さんから以下のようなメールが届きました。今朝、酒井さんの自宅に電話しました所、息子さんの携帯電話に転送されて連絡が取れました。亡くなったというのは、本当でした。4月1日未明に自宅で火事が発生し、寝ていた酒井さんが亡くなったそうです。火事により、連絡先とかが消失してしまい、告別式の案内をするにも、分からなくて、新聞でのニュースや死亡記事を見て集まられたとの事でした。せっかく、M12のモデル化計画が、起こってきただけに、残念です。これなら、何とかして形にして、霊前に供えてあげたいと考えております。自宅マンションも火事による被害が酷くて、仏壇も燃えてしまったそうですが、これから、息子さんにも連絡をとって何とかしたいものです。そちらでも、追悼の意味をこめて、製作を進めていただけないでしょうか。

 

牧野です。

宮野さん、昨日初めてメールを頂く方より下記のようなメールが 届きました。

昨日「酒井正様」の告別式に参列して参りました。Tadashi Sakai -PART2の早期掲載を楽しみにしております。宜しくお願い申し上げます。

これは、亡くなったと言う事なのでしょうか?! 御子息には、はっきりしてから出ないと失礼にあたりますので連絡していませんが・・・。 宮野さん、確かめられますでしょうか?!本当ならとても残念でたまりません。では。

牧野弘文

 

前略、

メール拝見しました。何と言うか、言葉が出ません。模型の件は早急に完成出来るものでも無いのですが、滝さんに続いて日本のモータースポーツの歴史を刻まれた方が又居なくなってしまいました。本件、がんばります。それだけが僕に出来る事です。勿論御会いした事は無く、今回M12を完成させ、お渡し出来る事を楽しみにしておりました。しかし、今回僕が連載でM12を出して、宮野様からメールを頂いたのが3/31です。あっと言う間に広がって本件具体化しました。昨日はミノルタの光学スキャンのテストもしました。心から御冥福をお祈り致しますと共に微力ですが、本件自分の能力を最大限出して関係各位の方々にお贈りしたいと思います。御連絡有り難うございました。  敬具

zacoda.com 寺部龍介 


2001年3月31日

寺部様へ

モデルカーズの記事を読みました。酒井正さんが乗っていたミノルタマクラーレンM12の資料をお探しとか。それなら、ニュージーランドのMr.Tony Robertsにメールを送って下さい。彼が現在のオーナーです。

 

 自らイギリスの低燃費レースに挑戦し、ブルース・マクラーレンのメモリアルを主催されている宮野さんからメールを頂いた。それからあっという間に鎌倉〜熊本〜ニュージーランド間で交わされたメールからミノルタマクラ−レンM12模型化計画が始まったのである。宮野さんの御活動については別記参照して下さい。驚きました!

今回、機材の説明等考えたが、何よりこの久々に創造意欲を強力にかき立てる出来事を説明するのには、我々が交わしたメール内容そのものを公開してしまう事が一番と考え、許可を頂き御紹介する。読んで頂ければ説明の必要は無いかと思う。


 実は、私が、甲府のピットインに27年間も展示されていたM12をニュージーランドに嫁がせた仲人なのです。とは言っても全くのボランティアですから、何の報酬も貰っていません。トニーは、私も所属するブルース・マクラーレン・トラストのメンバーですから、彼から、突然メールが来て、もう1台のM6B改の件でオーナーに連絡を取ってくれという事で、話が始まったわけです。その内に甲府のピットインのM12の件が話題になって、私が、連絡を取って、色々と交渉の結果、ニュージーランドに嫁ぐ事になりました。向こうへ着いて、インジェクションのオーバーホールだけで、エンジンが掛かり、直ぐに走る事ができました。1ヶ月も立たないで草レースに出て優勝し、それから、本格的なレストア作業に入り、昨年暮れには、新しい塗装で蘇りました。オーストラリアまでレースに遠征したりもして、甲府の小林さんとの動態保存するという約束が果たせました。もし、リアからの写真とかが欲しければトニーに連絡すればメールで、送ってくれるでしょう。私は、デニス・ハルムと知り合ってから、ブルース・マクラーレンとの繋がりができました。成りゆきで、92年にブルース・マクラーレンのメモリアルを主催し、未亡人のパティさんや娘のアマンダとも知り合いました。アマンダは、私のチームにドライバーとしても参加し、ギネスブックのイギリス1周の燃費記録を作りました。詳しくは、 http://www.spheral.com/G-challenge にアクセスして下さい。酒井さんのM12が、モデルになるなら、喜ばしい事です。酒井さんにもトニーにもそして私にとってもです。「人生、粋に感ず。」で、やってきました。お金のどうのこうのは、趣味にはかえって不要です。モデルができたら知らせて下さい。

宮野 滋

熊本市 宮野医院 院長

 

前略、

御連絡有り難うございます。G-challenge、大変興味深く又楽しく読ませて頂きました。ヨタ8でチャレンジというのは感動です。(模型になってますか!?)M12のストリ−等も含めて連載で御紹介させて頂きまして、実は製作工程として考えていたのは写真からデータを作成し一回切削した後、整形しそれを前回紹介したミノルタの光学式3次元スキャナーで読み込んで ミノルタマクラ−レンをミノルタvividoで作るという考えです。プロセスは52号cd3の時と同じです。是非御協力を頂きたいと存じます。模型は半分趣味ですが、ライフワークとしてやっております。昔、ブラバム、ラルースの日本スタッフとしてスポンサー活動等お手伝いしておりました。 ひょっとして中内さんとか御存知では?本件、熊本、鎌倉、ニュージーランドをnetで結んだ企画として連載したいと思っております。出来た模型は勿論進呈したいと思います。(商品にするかは分かりません。デザインの版権が曖昧な現在、市販車で昔のマシン以外は面倒だからです。仮に実車のオーナーが許可してもマクラ−レンには確認が必要かと思います。)現在、完全に締め切りの次回原稿を書いておりますが、是非、本件御協力を頂きたいと思いますのでよろしくお願い致します。まずは御礼まで乱文にて失礼致します。     敬具

zacoda.com 寺部 龍介

 

寺部様へ

早速の御返事ありがとうございます。カーマガジンの「失われた時を求めて」シリー

ズの第1弾として取り上げられた1999年終わりの257と260、263号の記事は読まれていると思います。このマクラーレンM12が、ニュージーランドに嫁ぐ事になったのも、ピットインの建物が、国道の拡幅工事で取り壊される事になっていたからですし、小林実さんの男気に甘えて、破格の安値で譲っていただきました。もう1台の雨曝しにされていたM6B改とは、保存状態が全く違いました。昨年の夏(南半球では冬)に行われたレストアでは、ペイントを剥いでいくと、何層もに塗られたペンキの下からヤマハのマークが出て来たりして、この車がマクラーレン・トヨタとして1969年11月のレースを走った物であるとの確証が取れました。

 

そうやってボディのレストアも済み、エンジンもオーバーホールされて、まるで耐久レース仕様のようなマイルドなカムが使われていた事が分かったりとか、ノスタルジックヒーローで取り上げられた酒井さんの記事の中で、71年シーズンの詳しいレースリザルトが分かったりと、話は、まだまだ現在進行形です。

ニュージーランドから、届いたビデオには、コンテナのままで配達され、その中から出されるM12とか、エンジンを初めて掛けるシーンとか、最後は、草レースで優勝するシーンとかが、写っていました。このPAL方式で録画されたVHSテープから、私が持っているアイワのマルチシステムのビデオデッキで変換して、日本のビデオデッキで見れるNTSC方式のテープを酒井さん、小林さん、ムーンクラフトの由良さん、セルモの佐藤さんとかの関係者に送ったというわけです。寺部さんにも送りましょう。結線を替えてやらなければならないので、発送まで1週間程待って下さい。リアセクションは違いますが、それ以外は、69年のマクラーレン・トヨタと同じですから、マクラーレンM12の72年シーズンのミノルタカラーと2種類作られたらいかがでしょうか。中内さんとは、一度、立ち話をした事は覚えています。でも、それ以外のF1の方とは、マクラーレンのファクトリーには、2度、1993と2000年に見学に行った事があります。82年のルマンに、童夢のチームドクターみたいな形で紛れ込んだ縁で、林ミノルさんや由良拓也さんとは、おつき合いをさせていただいております。今年は、6月にアマンダ・マクラーレンも参加して、フォルクスワーゲンのルポのディーゼルで、ディーゼルエンジンの自動車の記録(ダイハツ・シャレード・ディーゼル・ターボの36.54km/リットル)に挑戦します。事前テストの結果から、40km/リットルの新記録が出る事は予測できています。これで、イギリス1周の燃費記録は全種目制覇です。とにかく、マクラーレンM12のモデルが形になる為の協力は喜んでいたします。

 

 

御連絡有り難うございました。

非常に興味深いです。黒沢レーシングが69日本gpに購入したマシンとの繋がりはあったのでしょうか?

ブラバムお手伝い時代にヤマハの取締役がいらして今でも年賀状の交換はしておりますが、この方が当時この辺の事をしていらしたと思います。もしVTR を御覧になったらさぞ懐かしいと思われるでしょう。69日本GPの917を見た時のお話等伺いました。鋼管スペースフレームでプラグ交換が簡単に出来ないので聞いたら、この車は耐久レースの1〜2回走った程度でプラグ交換をする必要は無いとポルシェの技術者に言われ、当時ショックだったとおっしゃってました。おっかけてた時代だったんですね!あの当時の熱さよ蘇れ!日本経済!みたいな記事を書きたいと思っているのですが!TI22とも繋がります!これはチタニウムで切削しようかと思ってます。VTR大感謝です。多分そこからキャプチャ−した画像で形状は製作できると思います。まっ率直に申し上げて他の写真等から出来ない訳ではありませんが、プロセスが大切なんです!プロセスが!この模型を作って行く過程から日本のモータースポーツの歴史の一部を紹介して行く、勿論宮野様の活動も御紹介させて下さい。関わられた全ての方に模型を贈呈したいと思います。(時間はかかりますが)オーバーかもしれませんがモデルカー一つでも楽しみ方が我々日本人は軽いと思います。こういう背景を知るという事が重要な価値観の一つで在るかと思います。5リッタ−トヨタ7の模型も以前作りました。余談ですが、私父が映画関係の仕事をしておりましてトヨタコロナのカタログの子役で使われた事が在る様です。M型エンジンというそうで、そのエンジンはヤマハが始めて手掛けたトヨタのエンジンという事だそうです。4,5才の時で鎌倉の海で撮影した様です。提案ですが模型には宮野様のブルース・マクラーレンメモリアル、M12の件等での文を添えて(カッコ良く!)関係者に贈るというのは・・僕にとっては関係者が全部と自分が持ってる模型を作りたいです。売る程作るパワーも時間も無いという事も在るのですが・・乱文にて申し訳ありません。宮野様のHP上、及び今回のM12の写真、文章の一部等使用させて頂きたいのですが、よろしくお願い致します。重ねて有難うございました。

 

 

黒沢レーシングの購入したM12は、当時のカーグラフィックの表紙を飾ったブルーのマシンですね。あのシャシナンバー 09は、クラッシュしてスクラップになっています。詳しくは、カーマガジンを読んで下さい。実に詳しく取材されています。917がヤマハに届いたのは、初めて聞く話です。第2回日本GPで904が、急に参加する事になったのは、トヨタが影で動いたからだとか言われています。この話もタキレーシングとトヨタの関係を示す逸話でしょうか。

ニュージーランドのオークランドにあるトニー・ロバーツが経営しているGroup7という会社です。現在、マクラーレンのM8A(元デニス・ハルムのマシン)をレストアしています。それは、アルミのモノコックを新造してやるというもので、オリジナルの設計図を元に作っています。元マクラーレンのファクトリーで働いていたというメカニックも何人かいて、当時と同じ事ができます。製作のスピードは違いますが。

トニー・ロバーツには、寺部さんの事を知らせておきましたが、立った今、ニュージーランドから以下のようなメールが届きました。おもしろい展開になりそうです。

 

Dera Shigeru

Thank you for your email.

If there is anything that we can do to help your model maker then we will.

A friend of ours in the USA was involved the Can-Am racing from 1967 onwards with Chuck Parsons.

He came to Japan in 1969 with the American team and has given us a lot of

photographs of the trip, including shots of the M12 in Toyota style body.

Also photographs of all the drivers together and shots of the track and

support vehicles. I will get copies taken and send them to you.

Regards, Tony & Duncan

 

 

Mr.Tony Robert

How do you do, I am RyusukeTerabe. It made contact by Mr.Miyano's

introduction.

A serial is being written in the magazine of 『modelcars』.

The model production which a personal computer was used for is a theme.

Though there is no English page, my activities are thought to be understood

in the homepage.

model car is not its main occupation. It is done by the life work of the

taste. It is not a purpose to sell it. I want to introduce the history of

Japanese motor sport with making the model of this M12. It is the wonderful

machine which the central figure of motorsport of our country was concerned

with. Mr. Miyano explained very interesting story of M12. It is the machine

which it yearns for when I am little. Cooperation is appreciated.

It works to be made. If it is completed, I really want to present it. Though

it sometimes wants to speak very much, I am not good at English. It is asked.

Thank you.

Regards, Ryusuke Terabe

 

 

Dear Mr Ryusuke Terabe

Thank you for your email.

We think that the M12 is a fantastic car as well. The fact that it was

stylised in Japan to have its own identity makes it even more important. No

other M12 had the rear wing treatment that this M12 had.

Please advise how we can help you. I have attached some photographs of the

car as it is now and at Mt Fuji in 1969 (number 5).

Best regards, Tony Roberts

 

 

次回からは宮野さんから送って頂いたVTR画像を元にこのM12を製作して行く。又、合わせて実車に関わった様々なエピソードも御紹介したい。

しばらく寝られない日々が続きそうだ。

 

鎌倉市由比が浜2-17-12

zacoda.com 寺部 龍介

ryusuke@zacoda.com 

又は zacoda@mac.com

0467-25-4418

*TEL/FAX/Eメール自動転送でお受けしてます。
1992年6月2日ブルース・マクラーレン メモリアルどうしてそうなったのか、その個人的説明

宮野 滋

 

 偶然に起こった幾つもの出来事の長い連鎖が、1992年6月2日グッドウッドにて故ブルース・マクラーレンのメモリアルを主催するという栄誉を私に与えてくれた。なぜそうなったのかを説明したい。1981年8月、私は、ドイツのモータースポーツのイベントを回るパッケージツアーに参加した。ところが手違いによって、行きたいと思っていたニュルブルクリンクでのオールドタイマーグランプリというクラッシックカーの大きなイベントが1週間ずれていたのだ。その代わりに見た草レースで、その時にでさえ日本の路上では稀となったホンダS800が走っているのを見て私は非常に驚いてしまった。そしてパドックへ行き、持ち主のミハエル・オルトマンと会ったのだった。1985年彼は、イギリスで非常に希少な5速ミッションを積んだホンダS600のレースカーを発掘し、それをレストアした。そしてその車が1964年9月のニュルブルクリンク500kmレースでホンダが初めて国際レースでクラス優勝という凱歌を挙げた4輪車である事を確認したのは私だった。ドライバーは、サー・ジャック・ブラバムのチームの見習いドライバーであったデニス・ハルムだった。 私は、ミハエルの同意の元にデニス・ハルムに手紙を書いた。25周年となる1989年にニュルブルクリンクでそのS600に乗ってもらえませんかと招待したのである。幸いな事に、彼は同意してくれ、ニュルブルでの再会は1989年6月に実現した。参加したクラッシックカーレースのレポートはドイツの日本の自動車雑誌に詳しく報じられた。 その同じ日に、デニスは、ロッソ・ビアンコ・コレクションのピーター・カウス氏が所有するCan-AmマクラーレンM8Fをドライブできるように私がアレンジする事ができた。その時である。デニスは、私に、どうしてブルース・マクラーレンが事故で亡くなったのかを語った。デニスは、その数週間前にインディアナポリスで火傷を負って運転できる状態になく、代わりにブルースがデニスの乗る新型マシンのテストをしていて事後が起きたのだという。この大いなる逆境に対して、マクラーレンチームは奮起して1970年のCan-Amシリーズに総力注いでチームを送り、シリーズチャンピオンを取った。1970年にデニスがドライブして優勝したシャシーナンバーBM8D/4のM8Dにデニスを乗せて6月2日の命日にグッドウッドサーキットで走らせたらどうだろうかというアイデアがその時私の頭に閃いた。そうする事は可能に思えた。というのも既に私は、このマシンのオーナーであるロバート・ホーン氏とは、1984年に知り合っていた。というのが、1983年にパリから日本まで戻る途中のシベリア鉄道の同じコンパートメントで一緒になったルーシー・ホーンと知り合いになり、彼女が紹介してくれた親戚が、ロバート氏だったのだ。私は、彼の持つフォードGT40とフェラーリ512Mを取材する事ができた。その時、彼はM8Dも持っていると私に語った。私が知り合ったこれらの人達との出合いは、それぞれは完全な偶然だったが、これだけ積み重なると、私はこれらの出合いは運命だったと確信している。なぜ宮野滋、デニス・ハルム、ミハエル・オルトマン、ルーシー・ホーンそれにロバート・ホーンの5人がこの広い世界で、結びついてしまったのだろう。最初は、このメモリアルは、小規模のデニスに対する個人的な贈り物として計画されたが、直ぐに他の多くの人々も招待されるべきである事が明らかになり、そこで、私は、イギリス人の友人のジョン・ハウイにブルース・マクラーレンの友人達で招待すべき人々を調べてくれるように頼んだ。私達は、連絡を取った多くの人々がら素晴らしい援助を得た。だから、メモリアルがこれだけ成功したのである。そして、この偉大な男を真の「エンジニアにしてコンストラクター、チャンピオンにして友人」と讃えるのに非常に良い時期であった。私は、その準備を進めていく事に本当に喜びを感じていた。マクラーレンF1ロードカーが発表され、デニスにOBEの称号が与えられという事は、グッドウッドにメモリアルの場所を設けるという事の露払いになった。私達は「見えざる手」に導かれ、メモリアルは、1992年6月2日に実現した。誰かが「なぜ没後22年にやるんだろう、なぜ20年や25年という区切りの良いメモリアルをやらないんだ。」と言うかもしれない。私は「熊のデニー」をモナコGPに連れて行きたかったのだ。なぜなら、彼のGPでの初優勝は、1967年のモナコGPだった。彼は、世界チャンピオンになった25周年をモナコで祝って貰うべきだと考えた。そこで、彼に私の"Mad Scientist & Crazy Guys"というチームに加わらないかと誘ったのだ。私は、ホンダ・シビックETiで、ギネスブックの「イギリス1周低燃費記録」に挑戦しようとしていた。だから、ドライバーが必要だった。ギネスブックは、ブライトンをスタートとゴールの場所に指定していた。そしてグッドウッドはブライトンからたった45kmしか離れていない。そこで、私は、6月2日にグッドウッドでブルース・マクラーレン・メモリアルを行い、6月3日にブライトンをスタートするスケジュールを立てた。私達は、6000kmのイギリスを1周する素晴らしい体験をして6月10日にブライトンに到着、27..93km/Pというガソリンエンジンクラスの新記録を作ったのだ。私にとって偉大なドライバーであるデニー・ハルムと一緒の時を過ごせたというのは大きな喜びであった。その年の10月4日オーストラリアのトーヘイ1000kmレースでBMWのM3を運転中に、デニーは、心臓発作で亡くなった。私は、この悲報を聞いて非常に驚いた。グッドウッドで亡きブルース・マクラーレンに捧げるレクイエムとしてデニーがM8Dをドライブするのは、最後でそして唯一のチャンスだったのだ。。。


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